
ARTTaro Kiguma
現代美術作家・杉本博司の回顧展「杉本博司 絶滅写真」は、この夏必見の展覧会だ。コンセプチュアルかつ最高の技術で制作された銀塩写真の数々は、本人によるライティングで輝いている。その完璧な世界観に水を差す(?)本人による狂歌のギャップも見どころ。
上写真:〈海景〉シリーズの近作《相模湾、江之浦》2025年と杉本博司。©Hiroshi sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi Photo_Takuya Neda
骨董収集、建築、舞台芸術、彫刻、料理、書など様々な創作活動で知られる、現代美術作家の杉本博司。彼の原点である写真を中心とした展覧会が東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催中だ。本展には「絶滅写真」という極めて刺激的なタイトルがついている。開催に当たって杉本は、自身の創作活動の終焉と銀塩写真という技術の終焉を重ね合わせ「絶滅」というコンセプトを掲げた。
1975年にアメリカの自然史博物館のジオラマをあたかも生きているかのように表現した〈ジオラマ〉シリーズ。世界の大海原を同じフォーマットで撮影した〈海景〉。1本の映画を上映中の劇場で長時間露光撮影し、光輝くスクリーンをコンセプチュアルに表現した〈劇場〉。これら代表的な3部作から近作の〈Opticks〉まで、全13シリーズを3章構成で展示している。

1章「時間・光・記憶」より。©Hiroshi sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi Photo_Takuya Neda
〈ジオラマ〉シリーズにおいて、《ポコット族》などの3作品は今回が初公開となる。ジオラマの所蔵先であるアメリカの自然史博物館から、昨年ようやく許可が下りて撮影が完了したからだ。1975年のシリーズ開始から50年をかけて完結に至った〈ジオラマ〉は、進化や文明など壮大な人類史を観るものに語りかけてくる。会場の冒頭でこの代表的なシリーズが今なおアップデートされている事実に対し、「絶滅」という後ろ向きな展覧会タイトルがついていることに強烈な違和感を覚えた。しかし違和感こそが、いつも観客の意表を突いてくる杉本博司の展覧会なのだ、と妙に納得させられてしまった。

《パレス・シアター、ゲーリー》2015年 ©Hiroshi sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi Photo_Takuya Neda
〈海景〉シリーズの近作《相模湾、江之浦》(最上部の写真)は、杉本が近年注力している「小田原文化財団 江之浦測候所」にて2025年に撮り下ろされたものだ。こちらもシリーズがアップデートされており、「絶滅」という後ろ向きなイメージからはほど遠く感じられる。第1章だけでも、写真をメディアとして用いてきた現代美術作家としての革新性と、アンセル・アダムズを模範として研鑽を積んできた圧倒的な写真技術をたっぷりと堪能できる。

〈海景〉シリーズが並ぶ壮観な第1章。ベンチも用意されており、時間を忘れて鑑賞してしまった。なお、会場内は〈海景〉シリーズ展示エリアのみ動画撮影可能だ。©Hiroshi sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi Photo_Takuya Neda
杉本の圧倒的な職人技術は、会場のライティングにも遺憾なく発揮されている。
「今回の展覧会も非常に新しいことというか、空間としての見え方にこだわっています。展示室に入ったときに作品が美しく見える、浮かび上がるように見えるというのは実は非常に難しいことです。ライティングは1点1点、全部気を使って、全部違うセッティングにしています。例えば〈海景〉は、海ごとにみんな波の調子が違う。〈劇場〉シリーズは、映画館の中の四角い白いスクリーンが輝いているように見せなきゃいけない。だから、実はあのスクリーンのところにだけ、特別にスポットで多めに1灯光を当てているんです」(杉本博司、開催記念特別講演会にて)

2章「観念の形」より。©Hiroshi sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi Photo_Takuya Neda
杉本自身がそう語る通り、会場に一歩足を踏み入れた途端、光のコントロールにおけるクオリティを体感することができる。ライティングが非常に洗練されているため、作品1点1点の魅力が極限まで引き出されており、物質的な存在感が強烈に迫ってくる。デバイス上で閲覧するデジタル写真の軽薄さとは一線を画する体験だ。

3章「絶滅写真」より。左から《Opticks 075》2018年、《Opticks 066》2018年、《Opticks 027》2018年 ©Hiroshi sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi Photo_Takuya Neda

作品に添えられた杉本博司による解説文章と素遁卿(すっとんきょう)としての狂歌。
また、見逃せないのが作品に添えられた杉本による狂歌だ。すべての作品には本人による解説文章がついているが、それに加えて「けだもののみちきわめきていまのひと ひととは言えどいまもけだもの」など、ユーモアや皮肉に溢れた本人による狂歌が添えられている。
「親父が落語家だったので、展覧会も真面目に終わるのではつまらないと思いました。新しい挑戦として狂歌でも作品を説明しています」(杉本博司、開催記念特別講演会にて)
通常の解説文に留まらずに奔放な狂歌が並ぶ。スタイリッシュな作品世界と狂歌とのギャップをぜひ楽しみたい。
「これがまあ、最新作で。『写真だけで展覧会を構成する』って言っておきながら結局、嘘になりまして」と杉本は笑う。会場の最後尾には、写真ではなく立体の作品が鎮座している。

《CAMERA MAN》2026年 ©Hiroshi sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi Photo_Takuya Neda
文明時間の長さを人の一生に例えて体感する装置、それがこの《CAMERA MAN》であるという。カメラを模した作品で、レンズを人間の水晶体、絞りを瞳、フィルムを網膜に置き換えて実際に装着する構造だ。人の平均寿命(約85年)と文明の歴史(約1万5000年)を比較すると、「1秒」に対する割合は「3分」になる。そこで3分間暗闇の中で過ごした後に、1秒間だけ景色を見るという作品だ。非常にコンセプチュアルなこのメディアアートを、3年の歳月をかけて完成させた。
展覧会の最後にどうしても写真以外の作品を滑り込ませてしまうあたりに、作家の尽きることのない創作意欲を感じざるを得ない。杉本博司の創作活動は本当に終わるのだろうか? 「絶滅写真」というタイトルにある「絶滅」のコンセプトは、杉本自身が作家活動の終焉を見据えていることから浮上したものだという。しかし、本展から放たれている圧倒的なパワーを見る限り、まだしばらく終焉するとは到底思えない。旧国鉄東海道本線廃線跡の「眼鏡トンネル」を含む3万坪の土地が、江之浦測候所を擁する小田原文化財団に寄贈されるという奇跡的な出来事(今後の活用法が非常に楽しみだ)さえも起こしてしまう杉本博司の創作活動は、まだまだ終わりそうにない。
「杉本博司 絶滅写真」
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリーで9月13日まで開催中。